第1回
なぜスウェーデンは高齢化に向き合えたのか
歴史からひもとく福祉の思想
第1回は、世界に先駆けて高齢化社会を迎えたスウェーデンが、どのように「尊厳」と「自立」を大切にする社会を形づくってきたのか。その原点をたどります。その歩みは、単なる制度整備の歴史ではありませんでした。「人は年を重ねても、自分らしく生き続けられるのか」。この問いに向き合い続けてきた、ひとつの国のあゆみです。
世界に先駆けて訪れた高齢化
スウェーデンの高齢化社会は1890年から始まりました。
スウェーデンは19世紀後半から20世紀初頭にかけての大規模なアメリカへの移住がありました。この時期、多くの若年層や労働力人口が、より良い生活や仕事を求めてアメリカへ移住して、その結果は国内の若年人口が減少し、高齢者の割合が相対的に増加しました。また、医療や衛生環境の改善により平均寿命が延びたこと、さらに出生率の低下も高齢化を進める要因となりました。これらの要因(若者の海外流出、出生率低下、平均寿命の延伸)が重なり、スウェーデンは世界に先駆けて高齢化社会へと移行しました。そしてその経験をもとに、後に充実した福祉制度や高齢者ケア政策が発展していきました。
それと同時に英国の救貧法や、ドイツのビスマルク体制に代表される社会保険制度(医療保険、労災保険、年金)が誕生し、社会福祉は国家が担う社会的な責任として制度化されるようになりました。英国のベヴァリッジ報告(1942)により「ゆりかごから墓場まで」の社会保障が提唱され、ケアは一部の人のための救済ではなく、社会全体を支える基盤として位置付けられるようになりました。
19世紀 夫を亡くした女性の福祉施設
国民を家族ととらえた福祉整備。
それでも施設入所は「最後の手段」だった
スウェーデンでは、1930年代にFolkhemmet(国民の家)は、ペール・アルビン・ハンソンが提唱した理念が誕生しました。国を一つの「家」とみなし、国民を家族のように捉え、すべての人が平等であることを重視することになりました。貧富や階級の差を小さくすることを目指し、弱い立場の人も守られる社会を目指すことにしました。福祉は一部ではなく、すべての国民が対象となり、医療・教育・介護などを国家が保障することで対立よりも協力・支え合いを重視する社会が出来たとはいえます。個人の尊厳と自立も大切にし、スウェーデン福祉国家の基盤となりました。
さらに、その後ノーベル受賞者になった「ミュルダール夫妻」は、1934年に「人口の危機」を発表し、当時のスウェーデンにおける出生率の低下に強い危機感を示しました。彼らは、このまま少子化が進めば人口減少と高齢化が進行し、社会や経済の持続可能性が損なわれると警告した。少子化の原因として、都市化の進展や生活費の増大、子育ての経済的・社会的負担の重さを指摘し、女性が出産と就労を両立しにくい社会構造を問題視しました。これは個人の責任ではなくて、社会全体で解決すべき課題であると主張しました。解決策として、住宅政策や育児支援、教育制度の充実などの家族政策を整備する必要性を提唱しました。また、子育てを社会全体で支える仕組みを構築することの重要性を強調しました。今はこういった対策はどこの国にも議論されていますが、スウェーデンは高齢化対策だけじゃなくて、少子化対策に関してもかなり先駆的でした。
しかし、スウェーデンは第二次世界大戦まで非常に貧しい国で、一人当たりのGDPは隣の英国とドイツの約半分でした。1950年代以降は要約経済力が高まり、高齢者向けの介護施設が計画・整備されるようになりましたが、多くの高齢者や市民の間には強い抵抗感がありました。介護施設が画一的で集団生活を前提とした「収容型」であり、個人の自由や尊厳が損なわれるというイメージがありました。また、できる限り自宅で生活を続けたいという価値観も強く、施設入所は「最後の手段」と受け止められていました。
20世紀前半 福祉施設デイサービス
次回は、「特別なケア」から「日常の暮らし」へ。
スウェーデンの福祉の転換点となったノーマライゼーションの思想と、その広がりをたどります。